第46話「ミレーユの最期」前編 登場人物 椎野美佳 ファレイヌの使い手。白いヘアバンドでキティセイバ ーに変身する。 椎野律子 美佳の姉。体内にバフォメットの卵を内包させている 牧田奈緒美 警視庁の刑事。律子の親友。 ミレーユ 水銀のファレイヌ。元バフォメット ゼーテース 悪魔の使徒。 ケイト 総統親衛隊最後の一人。 プロローグ 1987年2月未明、警視庁は3000人の警官と機動隊員を動 員してフォルス・ノワール日本支部の壊滅作戦を全国一斉に展開し た。これは元フォルス・ノワールのメンバー、河野が警察に自首し てから僅か5日後という異例の事態だった。作戦は新聞に報道され ることもなく、突然に開始され、河野の証言と彼の持参したフォル ス・ノワール日本支部の内部機密資料により作戦は機動隊有利に展 開した。 フォルス・ノワールのメンバーは警視庁の意外なまでの迅速な行 動に対応できず、情報部、作戦推進部、偵察部といった各地の秘密 部署は次々と機動隊に占拠され、80人あまりを逮捕、150人あ まりが自殺を図った。その際、機動隊側も多くの負傷者を出した。 こうした機動隊の活躍によりフォルス・ノワール日本支部の各基 地は二日余りで壊滅したが、ただ一つ頑強に抵抗する基地があった 。それがX部隊の立てこもるT銅山である。河野の話ではこの銅山 は環境汚染のため、長い間廃坑になっていたが、フォルス・ノワー ルが知らぬ間にこれを利用して地下基地に変え、大量の軍需品の倉 庫にしていたのである。当初、機動隊は銅山窟への強行突破を試み たが、軍事力と実戦に勝るX部隊の前に全滅させられる失態を演じ た。この事態を重く見た政府は一度は自衛隊の出動を提唱したが、 野党の強烈な反対にあい、撤回。警官と機動隊を銅山窟に包囲させ て、持久戦を試みることになった。 ***** 持久戦開始から四日後−− T山包囲作戦には警視庁の牧田奈緒美も参加していた。彼女は現 場から2番目に近い第4キャンプにいた。 「どう、コーヒーでも飲まない?」 奈緒美は河野に缶コーヒーを勧めた。河野も両手に手錠をし、警 備の警官三人を周りにつけられて参加していた。 河野と奈緒美はテントの中で折り畳みの椅子に座って話している 。 「いいや、結構だよ」 河野は断った。 「そう」 奈緒美は缶コーヒーを傍のテーブルに置いた。「大分、苛ついて るみたいね」 「そう見えるかい」 「見えるわ」 「僕の苛々を止めてほしいんだったら、早くこの戦いにけりをつけ てもらいたいね。奴らなら戦闘機によるミサイル爆撃を食らわせれ ば、一発だろう」 「日本はね、平和憲法を持つ国だからなかなかそうはいかないのよ 。何せ日本には建前として軍事力は存在しないことになってるんだ から」 「だが、このまま持久戦を続けたって奴らは絶対に落ちないぜ。あ の地下には大量の武器・弾薬があるんだ。しかも、その中には強力 なロケット弾も爆弾もある。呑気にやっていると、取り返しのつか ないことになるぞ」 「あなたの言ってることはよくわかるわ。だからこそ、あなたの言 葉を信じて、僅か五日で警視庁は組織の壊滅作戦を決行したのよ。 それだけ、政府も警察もフォルス・ノワールに脅威を感じているの よ」 「だったら、強引にでも自衛隊を導入すべきだ。このままじゃ、ま すます被害が大きくなるぞ。現に昨日だって、一番近い第5キャン プにロケット弾が打ち込まれたんだろう」 「私だって出来ることならそうしたいわよ。でも、今は駄目なの。 この問題は国体に係わる問題だから、一人の人間にどうこう出来る 問題じゃないの。現に今だって国会では防衛費1%突破するかしな いかでもめてるんだから」 「やれやれ。こんな調子じゃ日本も終わりだね」 河野はすっかりさじを投げ、黙り込んでしまった。 その時、テントの中に今回の作戦本部長である田辺警視正が入っ てきた。田辺は50前後で、あまり現場経験のなさそうなエリート 官僚のようなタイプだった。 奈緒美はすぐに席を立ち、敬礼した。 「牧田君、現在の様子はどうかね?」 「現在のところ、膠着状態が続いています」 「何かいい方策はないのかね。県警本部には市民からの抗議の電話 が毎日何百本もかかってきている」 「申し訳ありません」 奈緒美は頭を下げて、謝る。 「ミサイルを打ち込めばいいんですよ、ミサイルを」 河野が二人の会話に口を挟んだ。 「君か−−」 田辺はピクッと眉を動かした。「フォルス・ノワールを抜けて、 警察に自首してきたのは。全くよけいなことを」 「よけいなこと?」 河野はムッとした顔をした。 「そうだろう。君がおとなしく組織にいれば、こんな大きな事態に ならすに済んだんだ」 田辺は冷やかに言った。 「あんた、本気で言ってるのか」 河野は椅子を立ち上がった。奈緒美は慌てて河野を止める。 「本部長、それは言いすぎです。彼は犯罪組織を壊滅させるために 勇気を出して自首してきてくれたんですよ」 「それが余計なことだというんだ。世の中はどんなに平和になった って犯罪はなくならない。フォルス・ノワールが潰れたって、また 次の組織が出てくる。結局はイタチごっこなのだよ」 「何ィ」 河野は田辺につかみ掛かろうとするが、奈緒美が必死に押さえる 。 「河野さん、止めるのよ。今、手出ししたら取り返しのつかないこ とになるわ」 奈緒美の説得に河野はやむなく手を引っ込めた。 「ふん、このテロリストが。お前はどうせこの件に片が付いたら、 死刑台送りだ。よく覚えておくんだな」 田辺は冷ややかにそう言うと、テントを出て行った。 「俺だってわかってるさ。そんなことは」 河野は拳をぎゅっと握り締めて、言った。 「河野さん、何をそんなに焦っているの?」 「何でもないよ」 河野はそう言うと、また黙り込んでしまった。 1 責任論 シリアのフォルス・ノワール総合本部−− 総統室では水銀のファレイヌことミレーユが一人、肘掛け椅子に もたれて、ぼんやりしていた。彼女は警察がフォルス・ノワールの 各基地へ押し込む前に辛くも日本から脱出したのであった。 ミレーユはいつものように黒のブラウスに、銀色の顔を覆い隠す ように目深に婦人帽をかぶっている。彼女のデスクの前には8つの 宝石がケースの中に2列に並んで置かれていた。既に8つの宝石の うち7つが真っ黒となり、ただ一つだけが燃えるような真紅に染ま っている。この宝石は総統親衛隊8人のメンバーの生命を表し、赤 は生、黒は死を表す。 コンコン−− 外から総統室のドアをノックする音がした。 「誰だ?」 「セリンよ」 とインターホンのマイクから声。 ミレーユはそばのリモコンを入り口のドアに向かって押した。カ チャッという音がして、ドアのロックが外れる。 ドアを開け、一人の女が入ってきた。女は北欧系で、金色に透き 通った美しい長い髪を持っていた。女はこの場とは不似合いな白い キャミソールドレスを着ていた。 「ふふふ、哀愁に浸ってるなんて珍しい」 鉛のファレイヌ、セリンは口を軽く手で覆うようにして笑った。 「おまえには関係ないわ」 ミレーユは不機嫌に言った。 「あら、関係ないなんて心外ですわ。これでも私は副総統。もう少 し気にかけてもらいたいんだけど」 セリンはまた笑った。何がおかしいのかわからないが、彼女はい つもにこにこしている。 「何か用でも?」 「別に。ただどんな顔をしてるのかと思って。あら、あなたに顔な んてなかったわね、ごめんなさいね」 セリンは苦笑した。 ドン! ミレーユは強くデスクを叩いた。 「用がないなら帰れ!」 「ふふふ、御機嫌悪いんですのね。だったら、用を言いますわ。組 織を代表して、今回の責任どう取るおつもりなのかしら、総統様」 「責任?」 ミレーユがセリンの方を見る。 「そうですわ、総統親衛隊7人とフェッツを失い、おまけに日本支 部まで壊滅に追い込んだ責任、重大かと思いますけど」 「フォルス・ノワールは私の組織だ、おまえにとやかく言われる筋 合いはない」 「あらあら、責任逃れなんて。これだからファレイヌは嫌なのよね 、まあそう言うあたしもファレイヌだけど」 セリンはくすっと笑った。 「貴様、このわたしに意見する気か」 「ミレーユ、組織にはルールってものがあるんですのよ。20年前 、CIAとKGBにやられた時のこと、覚えてるかしら。あの時は 1国の軍隊並みの強さだったうちの組織が壊滅に追い込まれたわよ ね。その時、エミリと一緒に誓ったわよね。今後は秘密行動を主体 にして組織を再建して行こうって。忘れたの?」 「時には例外もある」 「へえ、椎野美佳にちょっかいを出すことが例外なの。確か彼女は クレールだったんでしたっけ。そんな昔のことをまだ根に持ってら したの?」 セリンはフェリカやクレールの正体にはまだ気づいていないので ある。 「おまえにはわからないことだ」 「あら、そうですの。それならそれで構いませんわ。でも、組織の リーダーとしては失格よ。あなたは組織の部隊を任務以外で個別に 動かしたばかりか、有能な人員と部隊、支部を壊滅に追い込んだ。 組織条項201号により、組織から排除処分にしますわ」 「何だと、組織の総統であるこのわたしを組織から追い出すという のか!」 ミレーユは思わず席を立ち、セリンに食ってかかった。 「ええ、代わりにあたしが、総統になりますの。エミリが副総統よ 」 セリンはニコッと笑って、言った。 「ふざけるな!そんなこと、このわたしが許さないわ。第一、部下 がそんなことを認めると思うか」 「やってみる?部下を呼んであなたとあたし、どっちがかわいいか 、なんて比べるの」 「面白い、このわたしへの忠誠がどれほど強いか見せてやる。そし て、その場でおまえとエミリは処刑だ」 「あはは、ファレイヌは不死身ですのよ、ミレーユ」 「ふん」 ミレーユはデスクの司令マイクを手に取った。 「総統!」 その時、軍服を着た一人の女が慌てて入ってきた。総統親衛隊の ケイトである。 「どうした?」 「総統、副総統の指示に従ってください」 「ケイト、貴様……」 「違います。総統、フォルス・ノワールは既に副総統の支配下にあ ります。例え部下を呼んだとしても」 「馬鹿な、そんなことがあってたまるか」 ミレーユがマイクのスイッチを入れようとする。 「総統!」 ケイトはミレーユの腕を付かんだ。「総統、お止めください。自 分は総統が辱められるところを見たくありません」 「−−ちっ!」 ミレーユはマイクをデスクの上に投げつけた。 「ほほほ、残念。まあ、いいわ。とにかくミレーユ、早めに荷物を まとめておくのね。出て行く時は掃除しといてよ。今度、私の部屋 になるんだから。じゃあね」 セリンは高笑いをしながら、部屋を出て行った。 「総統、申し訳ありません」 ケイトは深く頭を下げた。 「いつからだ、セリンが動き始めたのは」 「わかりませんが、恐らく日本支部のK部隊が壊滅した頃かと思い ます。中央会議で責任論が持ち上がりまして、その時、副総統が日 本支部の横田を擁護して、今回のK部隊の失態はその任務自体が非 公式なものだったと発言なさいまして−−」 「暗にわたしを非難したのね」 「はい。これはヨーロッパ支部の幹部から聞いたことです」 「おのれ、セリンめ」 「総統、これからどういたしますか。出来れば、自分には椎野美佳 暗殺の任務を授けていただきたいと思います」 「フッ、総統を追われるかもしれないわたしから指令をもらいたい だと」 「はい。自分はいかなるときでも親衛隊のメンバーとして総統に忠 誠を尽くします。それは死んでいった秋乃、レイラ、レニー、エル ザ、マチルダ、アリッサ、フレイアの7人も同じだと思います」 「ふふ、気にいった。ならば、おまえに椎野美佳の暗殺を命ずる。 いや、美佳だけでは不満足だ。律子以外の美佳の家族を皆殺しにし ろ」 「はっ」 ケイトは足を揃えて敬礼した。 「わたしも最後の勝負をかける。我が息子を誕生させるためのな」 2 不安感 3月下旬、T銅山包囲作戦もいよいよ大詰めに入った。連日マス コミ各社の取材合戦にも関わらず、政府は結局自衛隊を派遣出来ず 、ついに米軍に参入を依頼。かねてからフォルス・ノワールに敵意 を抱いていたアメリカは渋々ながらも承諾し、ヘリによる空からの 攻撃と戦車による陸からの攻撃を展開した。 「ねえねえ、美佳。アメリカ軍が銀山窟へ突入を開始したわよ」 月曜日、律子は会社から帰って、ずっと自宅のマンションの居間 でこの様子をテレビに齧りついて観ていた。 「録画よ、それ」 ソファに座っていた美佳は冷めた口調で言った。 「わかってるわよ。でも、結果がわかってるだけに安心するじゃな い。ねえ、美佳、アパッチよ、アパッチ。やれ!もっとぶっぱなせ 」 律子はすっかりテレビの迫力に興奮している。 「好きね、姉貴も。まあ、何だかんだいってフォルス・ノワールも これで壊滅したし、よかったよね」 「そうそう。日本の対応の悪さには辟易したけどね、やっぱりなん といってもアメリカよ。ここぞって時にはばしばしやってくれるか らね」 律子はテレビのアメリカ軍を応援しながら、言った。 //美佳さん フランス人形に変形しているエリナが美佳に声をかけた。エリナ は金のファレイヌである。 「ん、何?」 //ちょっと 「うん」 エリナは美佳を美佳の部屋に連れ出した。 「姉貴に聞かれちゃまずい話?」 美佳は椅子に座った。 //ええ。ミレーユのことですわ 「ミレーユがどうかしたの?」 //ミレーユはなぜ魔法石を狙ったのでしょうか 「なぜって不思議な力が手に入るからじゃない。現に私も変身しち ゃったし」 //それだけでしょうか 「エリナは何か気になることでもあるわけ?」 //確か彩香さんは、魔法石を律子さんが手にすると律子さんの 体内のバフォメットが誕生するって言ってましたよね 「そんなこといってたわね」 //わたくし、ミレーユの狙いがそれのような気がするんです 「それってミレーユが姉貴をバフォメットにしようとしているって こと?」 //ええ。これまでのフォルス・ノワールの行動を見る限り、ど うもそんな気がします。以前のファレイヌはどちらかというと律子 さんを狙っていました。それはひとえに律子さんがファレイヌを転 生させるための真の所有者だと勘違いしていたからですが、でも、 それが嘘だと知っているのはわたくしとソフィーとペトラルカだけ かと思っていましたけど、どうやらミレーユも知っているみたいな んです。それもわたくしたちが知る以前から 「まさか」 //思い出してみてください。フォルス・ノワールが狙ったのは 美佳さんだけで、律子さんには一度も手をつけていませんわ。それ だけじゃありません。魔法石の所有者がクロノスだったなんてこと はわたくしたちは全く知らなかったのに、フォルス・ノワールは魔 法石を狙って、彩香さんをつけ狙ったわけでしょう 「それもそうね。だとすると、ミレーユはゼーテースが悪魔の使徒 で、姉貴の体内にあるバフォメットの卵を誕生させようと企んでい るってことも知ってる可能性は高いわね」 //はい 「けどさ、それだったら逆にミレーユは姉貴を殺そうとするんじゃ ない。バフォメットはその昔、フェリカの肉体を利用して、ミレー ユたちをファレイヌに変えたんだからさ」 //確かにそうなんですよね。でも、実際にはそうじゃない 「うーん、こんがらがるなぁ。私、頭よくないから、こういう話は 苦手なのよね」 //ミレーユが美佳さんを狙う理由についてはどう思います? 「私の体にクレールがいたからという理由だけではなさそうな気が する。他の理由っていわれてもわからないけど」 //美佳さんが魔法石を手にしたら変身するとわかっていたから とは考えられませんか 「そんな、いくらなんでも−−」 美佳は急に黙り込み、考え込んだ。 //いずれにしてもこのまま何事もなければいいんですけど 3 来訪者 同じ頃、宮城県仙台市にある椎野美佳の両親の家では、椎野夫妻 がDKで食事を取っていた。 その日の食卓はご飯に味噌汁、焼き魚に漬物と質素なものであっ た。 椎野夫婦の食事は割り合い静かであった。美佳がいた頃は賑やか であったが、美佳がいなくなってからはすっかり会話がなくなって しまった。夫の椎野義則はあまり口数の多い方ではなく、会社のこ とも喋らないし、テレビもあまり見ないときてる。妻の久子はおし ゃべり好きな方だが、夫の方が日常のことに関心が薄いので話があ わず、あまり喋りたがらないのである。 「母さん、美佳は元気でやってるのか」 椎野はお椀を置いて、久子の方を見た。 「さあ、最近はちっとも電話してこないわね。ただこの間、律子と 電話で話した時は美佳は相変わらずだって言ってたけど」 「律子から電話があったのか。どうして俺に繋がないんだ」 「だって昼間だもの」 「全く。それで美佳と律子は春休みは帰ってくるのか」 美佳の父親の椎野義則は、味噌汁を一口飲んでから、言った。 「帰ってこないんじゃない。東京の方が居心地いいみたいだから」 「なんだって。両親の所よりも東京の方がいいって言うのか」 椎野は少し向きになって、言った。 「そんなに向きにならないでよ」 「別に向きに何かなってない。ただ休みの時ぐらい両親のところに 顔を見せに来るのが当然だろう」 「忙しいんでしょ」 「何が忙しいもんか。去年の夏も、正月も帰ってこなかったじゃな いか」 椎野は不満そうにいった。 「そんなに心配なら、あなたの方から行ってあげたらどうです」 「そんなことしたら、子供になめられるだけだ」 「ふふ、頑固なんだから」 久子はくすっと笑った。「私の方から電話しておきますよ。お父 さんが寂しがってるから、顔見せに帰ってきなさいって」 「馬鹿!変なこというな!」 椎野は少し顔を赤くして、慌ててご飯をぱくついた。 ピンポーン−− そんなとき、玄関のチャイムがなった。 「誰かしら、こんな時間に」 久子は掛け時計をちらっと見た。9時20分を差している。 「近所の田中さんじゃないのか。年中おまえと電話で喋ってる」 椎野は皮肉っぽく言った。 「私はそんなに年中電話してませんよ」 久子はそういって、DKを出て、玄関の方へ歩いていった。 「どちらさまですか」 久子はドア越しに声をかけた。 「隣の川崎です。昼間、預かりました宅配便を届けに来ました」 と若い女の声。 −−聞いたことのない声ね。川崎さんの娘さんかしら 久子は不審に思いながらも、相手の声が女性だったので、玄関の ドアを開けた。 そこには黒い法衣を纏い、先端に水晶の付いた杖を手にした女が 立っていた。 「……」 久子はそれを見た瞬間、声が出なかった。どう答えていいかわか らなかったのだ。 「今晩は、椎野さん。あなたの死を届けに参りましたわ」 女はそう言うと、スッと顔を上げた。 4 電話 「あなたには死んでもらうわ。私の仲間を殺したあなたの娘の責任 をとってね」 ケイトは玄関に上がり込むとそう言った。 「なんのことですか」 久子は後ずさる。 「わからなければいいのよ。ヴェルド・デム・マード!」 ケイトは呪文を唱え、杖を頭上に掲げた。すると、杖の先端の水 晶玉が青白く輝き出した。 「きゃああ!!!」 青白い光が久子の体に浴びせられる。 「どうしたんだ!」 久子の悲鳴を聞いてDKから廊下に椎野が飛び出してきた。 「あなた」 久子が悲痛な声を上げる。 「久子!」 椎野は驚いて、久子のところへ駆けつける。久子の体は既に全身 が青白くなっていた。 「ふふ、もう一人いたのか。くらえ!」 ケイトは杖の光の出力をさらに上げた。 青白い光がさらに椎野までも包み込む。 「ぐわぁ」 椎野も体に光を浴び、悲鳴を上げた。 「あなた」 「久子!」 椎野は久子を光から守ろうとしたが、僅か数秒後には、二人の体 は全身青白い蝋人形と化してしまった。 「美しい夫婦愛ね。しかし、そんなものは豚の餌にもなりはしない わ。ヴィルト・ザム・ケール!」 ケイトが再び呪文を唱えると、今度は水晶玉が赤く光り出した。 「燃え尽きるがいい!」 ケイトが杖を降り下ろすと、水晶玉から赤い球体の炎が飛びだし 、蝋人形となった椎野夫婦の体に燃え移った。 「ぐわあぁぁ」 「きゃあああ」 椎野夫婦は蝋人形となっても、人間と同じような灼熱の苦しみを 味合わなければならなかった。 「燃えろ、燃えろ!」 ケイトは狂喜の表情を浮かべて、叫んだ。 二人の体は赤い炎によりロウソクのように頭からどろどろに溶け ていく。 「ふふ、椎野美佳、どう私の復讐は。これはまだプロローグよ」 「はっ」 美佳ははっとベッドで目覚めた。そして、慌てて飛び起きる。 //どうしたんですの、美佳さん 椅子に座っていたフランス人形姿のエリナが訊ねた。 「今、嫌な夢を……」 //夢? 「そう、お父さんとお母さんが殺される……」 美佳は頭を押さえた。「ねえ、エリナ、私、いつから寝てたの? 」 //いつからって覚えてないんですの? 「うん」 美佳は机の上の時計を見た。9時30分を差している。 //先ほど、わたくしが律子さんのところへ行って戻ってきたと きにはもう眠っていらっしゃいましたわ 「全然覚えてない。何か急に眠気が襲ってきて……」 美佳は頭を振った。「まるで二日酔いの気分だわ」 //何か気になりますね。 「え?」 //美佳さんのご両親が殺される夢ですわ。まさかとは思います けど 「何言ってるのよ、そんなことあるはずが……」 美佳はそう言ってはみたものの、気になって部屋を出ると、玄関 にある電話のところへ行った。エリナも美佳の後に続く。 美佳は両親の自宅へ電話をかけた。 呼びだし音がずっと鳴ったまま、誰も出てくる様子がない。 「そんな、まさか」 美佳は一度電話を切って、もう一度電話をかけた。しかし、誰も 出てこない。 美佳は仕方なく両親の自宅の近所に電話をかけた。 「あ、優ちゃんのおばさん、私です、美佳です」 『あら、美佳ちゃん、久しぶりね。東京で暮らしてるんでしょ。元 気でやってる?』 「ええ、まぁ」 『優なら友達の家に行って、今、いないのよ』 と元気そうなおばさんの声。 「違うんです。あの、今、母のところへ電話をかけたら誰もでない んです。申し訳ないんですけど、見てきてもらえますか」 『久ちゃんが?お父さんもでないの?』 「ええ」 『どこかへ出かけてるんじゃない、食事とか』 「それならいいんですけど、ちょっと気になって」 『わかったわ、見てきて上げる。わかったら、またこちらから電話 するわ』 「よろしくお願いします」 美佳はそういって、電話を切った。 //どうですか 「今、近所のおばさんに見てきてくれるように頼んだわ。留守なら 一番いいんだけどね」 美佳は笑顔を作ろうとしたが、全く笑顔にならなかった。 しばらく美佳がエリナとその場で待っていると電話が鳴った。 美佳は一度、心を落ち着けてから受話器を取った。 「もしもし、椎野ですけど」 『大変よ、美佳ちゃん。お父さんとお母さんが−−』 おばさんの甲高い声が美佳の耳に入ってきた。 5 死体安置室 午前2時、警察の案内で仙台の自宅から仙台市立N病院に椎野姉 妹は向かった。 既に東京から仙台までのタクシーの長旅で椎野姉妹は大分疲れて いたが、両親の安否を確かめたいという思いが二人を支えていた。 「美佳、本当にお父さんとお母さんが死んだの?」 パトカーの後部座席で律子はまた同じ質問を美佳に投げかけた。 「そうよ、死んだのよ」 美佳は同じ答えしか持ち合わせていなかった。 やがて、タクシーが病院につくと、二人は待機していた刑事に迎 えられ、地下の死体安置室へ案内された。 「恐らく遺体の確認は無理かと思いますが、一応お願いします。た だ何分にも女性の方にはショックが大きいので、どちらか一人でも 構いません」 安置室の前で刑事が沈痛な面持ちで言った。 「じゃあ、私が」 美佳が買って出ようとしたが、律子が美佳の肩をつかんだ。 「一緒でお願いします」 「姉貴……」 美佳は律子の方を見た。 「それでは、どうぞ」 警視が安置室のドアを静かに開けた。 二人は息を殺して中に入った。 −−!!!! その瞬間、二人は声が出なかった。 目の前のベッドにはあの優しい両親は乗っていなかった。ただド ロドロに溶けたどす黒い肉の塊の山が二つ、乗っていたのである。 それはもう全く人間の原型を残してはいなかった。 美佳は目をしかめながらも背けることなく、じっとそれを見つめ ていた。 −−夢の通りだ。あの女にお父さんとお母さんは熔かされたんだ 「いやあぁぁぁ!!」 その時、隣にいた律子が顔を両手で覆い、絶叫とも言える悲鳴を 上げた。その声が部屋全体に響き渡る。 「お父さん!」 律子がベッドの死体に抱きつこうとした。それを見て、刑事たち が慌てて止めに入る。 「椎野さん、落ち着いて!」 「いやっ!はなして。はなしてぇ」 律子は激しく暴れた。「お父さん!お母さん!返事して」 「椎野さん!」 三人の刑事はヒステリックに泣き叫ぶ律子を強引に引っ張って、 外へ連れ出した。その間、美佳は黙ってその場に立っていた。 律子がいなくなると、死体安置室はまた元のように静かになり、 肌に凍み入るように冷たく、鉛のように重たい緊張感だけが残った 。 美佳は何げなくベッドのそばに歩み寄り、ベッドの上に哀れな両 親の肉塊に触れた。 その途端、美佳の脳裏に何かの映像がフラッシュバックした。 両親の自宅の玄関にあの法衣を纏った女が立っている。 「椎野美佳、こんなところで両親の死を悲しんでいる暇はないぞ。 次はおまえの恋人、北条隆司だ。あはは」 女はニタッと薄気味悪い笑いを浮かべて言った。 「はっ」 美佳は慌てて両親の死体から手を放した。 「た、隆司が危ない……」 美佳の顔から血の気が引いた。 「椎野さん」 刑事が美佳の後ろから呼びかけた。 「刑事さん、電話はありますか」 「ええ、上の階に」 「ありがとう」 美佳はそう言うと、すぐ様部屋を飛び出していった。 続く